REVERコラム

鉄くず小僧が行く その6

いつもお読みくださり有難う御座います。
鉄くず小僧です!

台風5号が日本列島を縦断し、本格的な夏が到来!!かと思いきや、東京では40年ぶりに20日連続の雨を記録し、パッとしない天気が続きましたが、皆様、如何お過ごしでしょうか?

今年の夏の甲子園(第99回)は、この台風の影響があり、一日遅れで開幕しましたが、先日、花咲徳栄高校(埼玉県加須(かぞ)市)が全国制覇を成し遂げました。
加須市といえば、スズトクGP内の中田屋加須工場が私の中では、真っ先に思い浮かびますが、実は、私も高校時代、夏の甲子園(第86回大会)に出場した過去が有り、当時の上司に、「野球小僧」が「鉄くず小僧」になったのかとイジられた事が、このコラム「鉄くず小僧が行く」の始まりとなっております。

それはさておき、前回のスクラップシャー(通称:ギロチン)に続き、今回は箱型に成型し圧縮する機械であるプレス機について。プレスする目的は、もちろん運搬効率の向上です。

そもそもプレス機とは?

プレス機とは、簡単に説明するとかさばる金属などを圧縮してコンパクトにする機械のことです。こうすることで運搬効率が上がります。

  

戦前のプレス機導入については諸説あるそうですが、業界人である岡田菊治郎氏や德島佐太郎氏などの貢献が大きいそうです。
と言っても、この御二方は誰なの?となったので、御紹介。
岡田菊治郎氏は、大正初年にプレス機を製造し、プレス品を八幡に船で送り業界の注目を集め、実業界初のプレス機考案の功により1953年(昭和28年)緑綬褒章受章。
 授与対象:長年にわたり社会に奉仕する活動に従事し、顕著な実績を挙げた方。

德島佐太郎氏(2代目※初代から襲名)は1928年(昭和3年)「鉄屑結束機」、1934年(昭和9年)「德島式水圧プレス機」を考案。当時の最先端処理機と注目されたそうで、このため鉄屑業者の社名に「プレス」冠称が多用された様です。
これが一般に普及したのは1960年(昭和35年)前後。
このころ手塚興産㈱様(現・㈱テヅカ様)は、ダライ粉を高圧で圧縮・減容する「弾丸プレス機」を開発。
それに続き、自動車解体専用として地上設置式プレス機(サイドプレス)も1989年(平成元年)頃登場していきました。

ちなみに、岡田菊治郎氏は、国内で唯一、鉄スクラップ購入価格を公表している、鉄鋼電炉メーカーの、東京製鉄㈱様を設立した方でもあり、德島佐太郎氏(2代目)は、現在の産業振興㈱様を設立した方になります。正直、驚きました。
こうして、機械一つ一つを、調べていくうちに色んな時代を生きて来た方の功労が垣間見えます。

 

コラムの中でも、また、様々歴史を振り返っていきたいと
思いますので、引き続きご愛読の程宜しくお願い申し上げます。

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