
日本最古の「鉄の船」をわざわざ見に行くのは私だけであろう
2019年04月01日

資源リサイクル・産業廃棄物処理業のスズトクの若手営業担当のコラムです!! 入社以来スズトク一筋の社員の、生の声をお届けします。
目次
鉄くず小僧です!
前回、日本最古の鉄橋に足を運んでみましたが、あれから、
「まだまだ鉄を使っているもので、日本最古となっている物は有るのかな?」
と考え始め、調べてみたところ、有りました!
鉄橋以外で残っていた、日本最古の物。
それがこちら!
そうです!船です!
日本最古の鉄の橋、「明治丸」
こちらの船名は、【明治丸】!!!
こちらが、日本最古の鉄船との事で、行って参りました!
写真を見ても分かる様に、現在、【明治丸】は陸の上に保管をされておりますが、その保管場所となっているのが、こちら。
東京海洋大学の越中島キャンパス内になります。
なぜ、東京海洋大学内なのか、調べてみたところ、【明治丸】が船として、海の上を航行していたのは、建造されてから22年後の明治29年(1896年)までで、その年に、明治政府から東京海洋大学の前身であった商船学校に貸与され、永久係留された状態で、練習船として使われるようになったからだそうです。
その後、大正6年(1917年)の大型台風で岸に打ち上げられ動けなくなってしまい、船と海の間に現在も残る防潮堤が建設され、その時から陸の上の船になったそうです。
明治丸の歴史と逸話
明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船で、翌8年、横浜に回航されました。
一等飛脚船同様の出来と言われていたそうで、特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりではなく、ロイヤルシップの役目も兼ねていました。
明治天皇をはじめ、多くの高官が乗船し、日本の近代の重要な場面で活躍しており、なかでも、明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ、英国船よりも早く小笠原に到達しました。
このことによって、小笠原諸島は日本の領土となったのです。
その後の、沖ノ鳥島・南鳥島の領有を含め、日本は領海と合わせて、世界6位となる、447万平方キロメートルの排他的経済水域を確保することとなりました。
また、明治9年、明治天皇が東北・北海道巡幸の際、青森から乗船され函館を経由し7月20日に『海の記念日』が制定され、平成8年に国民の祝日『海の日』となりました。
およそ、20年間、燈台巡廻船として活躍し、冒頭にも説明したとおり、明治29年に商船学校に譲渡されてから、昭和20年までの約50年間の間に、5000人にのぼる海の若人を育てました。
昭和53年には、日本国内でただ一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として、国の重要文化財に指定されました。
船としての重要文化財指定は、【明治丸】が初めてだったそうです。その後、老朽化が進んだ為、再び平成25年12月より、大規模修復工事が行われ、平成27年3月に竣工。
美しい姿がよみがえりました。
明治丸 船内ガイドツアー
足を運ぶと、ガイドツアーが受けられるとの事で、丁寧な説明を受けながら船内にも入る事が出来ました。
こちらがデッキ。デッキ全体も綺麗に修復されており、中に入ると・・・
階段で、地下へ。
手すりにも鉄が使用されていました。
こちらが、サロンに使用されていたとか。
船内のあらゆるところにも、鉄が使用されていました。
こちらは、当時のままだそうです!
【明治丸】の隣には、「百周年記念資料館」が有り、入ってみる事に。
中には、当時積まれていた、タービンやら、モーターが展示されておりました。
こういうの見ると買いたくなっちゃいますよね!
(職業病が出始めちゃいました。)
最後に、大学内を後にし、遠目からの一枚。。。
なんだか風情が有りますね。。。
あっ!
鉄船と聞いて見たものの、本当に鉄だったか調べるのを忘れていました!!!
昔から、マグネットを当てずに、鉄と決めつけるのは駄目だと教わって来たのに、完全に凡ミスです。
急いで、戻って確認を。
人の目を気にしながらも、マグネットを当ててみました。
近くで見ると、サビも有り、しっかりと鉄である事を確認し、安心しました!